チューニングカーの歴史・初期
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国内ではモータリゼーション、スーパーカーブーム、富士グランチャンピオンレースの1970年代頃から市販車ベースに盛んになっており自動車専門誌への投稿、当時少数では在るもののショップへの依頼からのプライベートレース出走等によって広まり続けている。腑分けとしてオーナーは街道レーサーや族車、エンスー等から枝分かれする。サスペンションシステムの改変の一例をオーナー種別毎にみてみると、族車ユーザーの例として見た目重視的なスタイルからか車高を極端に低くする方法としてサスペンションシステム中のスプリングを外してホイール径ダウンを施す例があった[要出典](いわゆるノーサス)。しかしこれでは車高が下がりスタイルが変わったとしても、トータルバランスが著しく崩れる等機能的には改悪であった。[4]。又、見た目重視の改造の為、タケヤリ、デッパ等の装着する車両が多いのもこの部類の特徴。その他の特徴として、太いタイヤを履かせる為のブリスターフェンダー等に見る鉄板叩き出し、タコ足、横出し直管等がある。デッパの断裂、および脱落防止の為の吊り下げワイヤ等、実用性の方向性に向くのはもっと軽く強い素材がコストダウンされた後であるが、当時は町工場等で作成される為苦労していた模様である。
街道レーサー、エンスーユーザー向けセッティングとしては社外海外製強化ショックの導入、スプリング長を短くした上でのバネ定数アップやブッシュ類の強化、タワーバー導入によるホイールアライメント変化の抑制、車体の低重心化というバランスを保つ方向性から、車のコーナリング特性を含む運動性能を向上させようとする節があり、プライベートレース出走を考慮に入れた構成になっている。又、車体のバランスを考えたエアロパーツを社外品、または純正品フル装備で装着したり、国内レース仕様をオーバーラップさせる改造を行うユーザーが街道レーサーには多く、エンスーは外車ユーザーや、外観だけ純正仕様とする傾向が強い[要出典]。だが、メーカー純正リリース時点で運輸省、警察の圧力による死亡事故撲滅の為か環境対策の為に、メーカーがパワーを自己規制する時代となると、その後ターボ車が台頭してくるまで市販車ベースのワークスレース活動を縮小していた時代である。そう言う時代に旧車でのノウハウを積んで来たチューナーも数多く存在していた。その中で個人ユーザー向けで中心となった当時のチューンの要素として、国産の空燃技術はキャブレータ車のNAオンリーの時期でもあり、空燃比の効率化を目的としたフィルター取り外しや圧縮空気導入を模索していた。次に点火システムのCDI化であり、当初はデスビという、イグニッションコイルから来た昇圧電流を気筒の本数分ある点火プラグへ機械的に振り分ける部品を電子化することで点火の確実性をあげ、メンテ周期を伸ばし、燃費を向上させる後付け用品の装着が多かった。特に旧車等へはメジャーと言って良いほど装着例は多粋に渡る。この頃では、ボアアップ系の話題はレストアのジャンルから引っ張ってきた技術では在るが、日本では車検を通すことが困難な為、アメリカ等から雑誌等で来る話題程度にアンダーグラウンドに知られていた程度である。
<ウィキペディアより抜粋>
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